船橋の由来や、歩んできた歴史をご紹介します
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船橋市の概要 船橋市は、千葉県の北西部に位置し、西に市川市、南に東京湾を臨んでいます。市南部には商業施設や工場が多く、中部は住宅地が建設され、居住人口も多くなっています。 船橋のあゆみ 船橋市が歴史書に初めて登場するのが平安時代の中期で、現在の船橋大神宮の全身である「意富比神」の名が記されています。意富比神社創建の起源は日本武尊(ヤマトタケルノミコト)が東征の際、この地を訪れ、東国平定の目的成就を祈願したこととされています。 中世には、海老川河口の港として、交通の要衝となり、意富比神社の門前では市が開かれるなど、賑わいを見せていました。また市域でも小規模な城砦が築かれ、夏見や小野田などにその遺構が残っています。 江戸時代に入ると、街道が整備されたことで、御成街道、佐倉街道、上総街道、行徳街道の集中する場所であった市域は、宿場町として繁栄し、江戸後期には宿数が30軒にも上ったと伝えれています。市域の中央台地には下野牧(しものまき)と呼ばれる、幕府直轄の広大な馬の放し飼いの牧場の一つが置かれました。17世紀後半には、牧場と周辺原野の一部が開墾されて、畑作の農村ができ始め、水田農業の他、野菜や果樹栽培も盛んになりました。 明治に入ると、戊辰戦争が起こり、市域も戦場の一つとなったため、大神宮や町の大半が焼失しました。その後、政府の開墾政策で畑作村が作られ、明治22年(1889)、町村制が施行されると市域は1町6村にまとめられました。明治27年(1894)に総武鉄道、大正12年(1923)に東武鉄道野田線の前身である上総鉄道が開通したことで、船橋は東京の衛生都市としての色合いを強め、昭和12年(1937)に船橋市が誕生しました。 戦時中、船橋には軍需工場や東京からの疎開者が集まってきたため、急激に人口が増加しました。また、戦後の鉄道網の発展に伴い、団地や企業の宅地造成が進められ、人口は飛躍的に増加します。市制施行時には約4万3千人だった人口は、現在57万人を超えるまでになり、千葉県唯一の中核都市として発展を続けています。 船橋の名前の由来 さまざまな諸説がありますが、 「古代、市の中心部を流れている海老川に「船」を並べて「橋」としたところから」という説が有力です。
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